編集部オススメの一冊は、今後追加予定です。
今では、ネット長者として絶大な影響力がある孫さんですが起業したての頃は名もない一員の一人です。
そんな彼がいかにして、成長し今の地位を築き上げてきたのかについてご紹介します。
孫正義の生い立ち
それでは早速、孫さんの生い立ちについてみていきましょう。
幼少期
佐賀県鳥栖市の朝鮮人集落に在日韓国人、4人兄弟の二男として生まれました。
当時の日本では、在日韓国人というのは差別されていました。
そのため、普通の仕事で稼ぐことは難しく豚や羊などの家畜の飼育や、畑を耕す、密造酒の製造などを行なって生計を立てていました。
今の孫さんのハングリー精神はこんな幼少期からやってきているのかも知れませんね。
学生時代
孫さんが、小学生にはなる頃には、密造酒の製造・金貸し・パチンコなどの事業を父親が成功させ、かなり裕福になっていました。
パチンコ店を数十店舗保有し、高級車を保有するほどだったそうです。
高校に入学すると家庭教師に勧められ、司馬遼太郎の『龍馬がゆく』を愛読し、脱藩に憧れ渡米を決意。
夏休みを利用して米国カリフォルニア州にて語学研修のため4週間の短期留学しました。
その経験は孫さんにとって大きな経験で、後の転入へと繋がったとされてます。
また孫さんには、学生時代に有名な逸話があります。
日本マクドナルドの創業者『藤田田』の『ユダヤの商法』を読んだ高校生の孫さんは、この本を書いた人に会いたいとアポなしで東京に行きます。
受付に会いたいというと高校生がいると聞いた藤田田は数分だけ会うことにします。
その際に、孫さんはアメリカに行く予定なんですが何を勉強すればいいですかと聞いたそうです。
それに、藤田田はこれからはコンピューターの時代だと言ったそうです。
のちに、二人は再開しており伝説的な話となっています。
アメリカ時代
『龍馬がゆく』に感動した孫さんは、なんと15歳という年齢で渡米を決意しました。
ただ、その頃孫家を支える父が病に冒され血を吐いて倒れてしましました。
そんな状況の中、周りに反対されても押し切ってアメリカ行きを決意したのです。
アメリカに行った孫さんは、めちゃくちゃ勉強しました。
当時の事を孫さんは、『物理的な限界を超えるくらいに勉強した』と語っています。
その甲斐もありなんと、日本で1年生の1学期の3ヶ月間、アメリカで合計2週間で高校を卒業したのです。
たった数週間で高校を卒業し、なんと大学に入学したのです。
その後、大学在学中に一日5分だけ勉強ではなく発明の時間に使おうと考え翻訳機などを発明し、シャープに売却しました。
学生時代で稼いだ金額は、3.9億円だったそうです。
学生時代で、3.9億円ってスーパーマンすぎますよね。。。
創業期からネットバブル
大学卒業後は、母親との約束で日本に帰るという事だったので帰国しました。
1980年、コンピュータ卸売事業の「ユニソン・ワールド」を博多区雑餉隈で立ち上げました。そう、これが現在のソフトバンクです。
孫さんがすごいのは、創業一年目から30億円の年商を叩き出しいきなり名乗りをあげたことです。
普通数年は低迷してという時期がありますが、いきなりロケットスタートでスタートしています。
そんなソフトバンクは設立より数年で、2900億円という時価総額をつけ上場会社となりました。
ITバブル崩壊からブロードバンド事業参入
インターネットとつくだけで、どんどん時価総額が上がる時期がありました。
時代は、ライブドア・サイバーエージェントなどネット企業がもてはやされるITバブルという状況でした。
孫さんは、そのITバブルの中でも中心に位置する存在でなんとあのビルゲイツを抜き世界一のお金持ちになった瞬間もありました。
しかし、そんなITバブルは続く訳もなく間も無くして崩壊しました。
ソフトバンクの株価も数百分の1に落ち込むなど、大きな影響を受けました。
個人でも借金をしていた孫さんは、債務超過の状態に陥っていた程です。
しかしこの状況で落ち込むのではなく、逆にやる気が出たと語っています。
その後、IT業界の巨人NTTに『ブロードバンド事業』で挑んだのは有名な話です。
詳しくは、オススメした孫正義300年帝国をご覧ください。
ボーダフォン買収、携帯事業参入
ブロードバンドで成功を収めた孫さんが次に狙いをつけたのが、携帯電話事業でした。
当時日本最大の買収と言われた日本ボーダフォンを買収し、携帯事業へと参入しました。
さらに球団買収・Iphoneの独占販売などで携帯電話事業を成功させ安定したキャッシュフローを築くことに成功しました。
投資グループとしてのソフトバンクグループ
元々、米ヤフーへの出資・アリババグループへの出資を行うなど投資による利益がかなりあったソフトバンクですが、本格的に投資グループとしてソフトバンクビジョンファンドを設立しました。
さらに、携帯事業のソフトバンクを上場させるなど事業会社から投資会社へと変貌していきました。
孫正義の名言
それでは、孫さんの名言についてみていきましょう。
僕はそう思うんです
いつ追いかけるのだろうか
追い求め続けている間は達成に近づいている。
圧倒的ナンバーワンでないと、そのビジネスモデルっていうのは大抵時間の問題でもう利益が出なくなります。大した利益が出なくなります。
プラットフォームを作るというのは、圧倒的ナンバーワンになって初めてプラットホームを作れる。業界標準を作るデファクトスタンダードを作る。圧倒的ナンバーワンになって初めて意味をなす。
孫正義の資産
それでは最後に、孫さんの資産についてご紹介します。
あくまで推定ですが、相当な金額を保有しています。
孫正義の資産
孫さんの資産のほとんどは、ソフトバンクグループの株による資産です。
2020年8月1日時点での保有株の資産は3兆円に及びます。
この株を担保に借り入れなども行っているので実際には、3.5兆円程はあるのではないかと思われます。
この金額までなってしまえば、5000億円なんて誤差だと思えてしまうくらいにすごいですね。。。
孫正義の年収
それでは孫さんの年収はいくらなのでしょうか?
孫さんの年収は大きく
ソフトバンクグループからの役員報酬 + 配当金
です。
2019年頃の数字で
役員報酬、2億2900万円
配当金、193億円
ここにその他の個人的に保有している不動産、株式などがあるので
250億円程度ではないかと思われます。
一年間生きていれば、250億円とは恐ろしい数字です。
まとめ
今回は、実業家『孫正義』についてご紹介しました。
一代で会社をここまで大きくした日本人は、孫さんとユニクロの柳生さんくらいではないでしょうか。
本の中では、詳しい時系列や実際にどういう風に歩んでこられたのかなどより詳細に描かれています。
ぜひそちらも参考にしてみてください!
関連する書籍は、今後追加予定です。