日本の一大インターネットグループ『GMO』の創業者である熊谷氏も、初めはただのベンチャー企業の社長に過ぎませんでした。

そんな彼が一体どうやって、ここまでの巨大グループを築いたのでしょうか。

それでは早速、生い立ちや経歴・資産など詳しく見ていきましょう。

熊谷正寿の生い立ちと経歴

熊谷氏は、1963年7月17日に長野県で生まれ東京都で育ちました。

熊谷氏の家系はかなりすごく、母方の祖母は、幕末の剣術家伊庭八郎を輩出した心形刀流宗家の伊庭家の傍系の出身で、曽祖叔父に音楽評論家の伊庭孝。

さらに祖父は、あの原敬(元首相)の側近で、立憲政友会の副幹事長を務めた政治家である方だそうです。

父親は、神楽坂を中心に様々な事業を行う会社を行っていました。

学生時代

熊谷氏は学生時代、『根拠はないが勉強ができる』と考えていたため、ほとんど勉強はしなかったそうです。

こんなエピソードがあります。

高校受験の際、熊谷氏が難関高校『国学院大学付属高校』へ入学したいと先生に伝えました。

すると絶対お前では合格は無理。やれるもんならやってみろ』と言われさらに

『皆さん熊谷が合格すると思いますか?』と周りの先生方に言われ、馬鹿にされたそうです。

その態度が非常に悔しく、必死に勉強した熊谷氏はなんとその難関高校を合格します。

しかも普通の合格ではなく、主席での合格を果たし入学式で新入生代表のスピーチを依頼されます。

恐ろしい自頭ですよね。

ただ、この高校に入学してから再度勉強を全くしなくなり、600人中500番台まで成績が落ち、学年主任の先生に目を付けられ、高校二年生の夏に中退してしまいます。

高校中退後

高校を中退した後、父親の会社で働きながら、勉強していないことに危機感を覚えた熊谷氏は通信制の大学に通います。

しかし、20歳で結婚、21歳で子供をもっていた熊谷氏には忙しく結局大学も除籍処分になってしまいました。

気づいたら家族には笑顔はない、お金がないから、カミさんは子供を預けてアルバイトに行く、子供は朝ワンワン泣いているそんな姿を見て熊谷氏は、自分は幸せじゃないのではないかと感じたそうです。

このままではダメだと感じた熊谷氏は、今は苦しいけども将来はこうなってやるこうしてやるということを手帳に書いたそうです。

その時から手帳に、自分の人生でやりたいことを書くようになり習慣化しました。

その習慣により、熊谷氏の夢が決まったそうです。

株式会社ボイスメディア(現:GMOグループ)創業

当時27歳の1991年5月に、現在のGMOグループである株式会社ボイスメディアを創業しました。

ボイスメディアでは、ダイヤルQ2で出会い系コンテンツの配信と専用機器の販売をしていました。

その後全国規模で展開し、各地にはパソコン通信やプロバイダーのアクセスポイントに似たアクセス拠点となるテレホンセンターを設置していたそうです。

創業当時は、インターネット事業ではなくテレホン系の事業でした。

しかし、1995年に転機が訪れます。

そうWindows95の発売です。

この1995年を境に、インターネットの新時代が幕を開けました。

ボイスメディア株式会社は、インターキュー株式会社に名前を変え、インターネットのインフラ、サービスインフラの提供に集中するため、インターネットプロバイダ関連事業へ参入したのです。

その後、順調に事業を拡大し1999年8月、東証JASDAQへ株式上場を果たしました。

これは、独立系ネットベンチャーとして国内初でした。

子会社の上場ラッシュ

その後、複数の子会社を上場させていきます。

2000年には、連結子会社「まぐクリック」ナスダックジャパン(現ヘラクレス)に上場させ、創業364日という当時、日本史上最短上場記録を樹立しました。

M&Aや、子会社の上場など順調に事業を拡大していきました。

幻のサイバーエージェントの買収計画

実はこの時、サイバーエージェントの買収計画もあったそうです。

実際に買収直前まで行くのですが、ホワイトナイトとして楽天が登場し買収を逃してしまいました。

順調に思えた経営でしたが、大きな逆風がGMOを襲います。

GMO倒産の危機

当時、「Webインフラ・EC事業」と「インターネットメディア事業」を行っていたGMOは経営を安定させるために金融事業の立ち上げを行っていました。

その際に買収したのが、オリエント信販と呼ばれるローン・クレジット会社でした。

この会社を250億円で買収したGMOでしたが、大きな誤算がやってきます。

それが、グレーゾーン金利の違法です。

当時グレーゾーン金利と呼ばれる、2つの異なる金利に関する法律の間の金利が存在しており、業界では高い方の金利を適用していました。

しかし2006年1月に最高裁判所で違法と決定され、さらには過去に遡って返金する義務が出てしまいました。

さらには、引当金と呼ばれる会社が将来に備えてお金を積み立てておかなければならない額が変更され、1年から10年とかなり厳しくなりました。

その結果、GMOの財務は悪化し債務超過になる可能性が生まれたのです。

債務超過とは、会社の資産よりも負債の方が多い状態のことでこの状態になってしまうと銀行からの融資の返済を迫られたり、新たな資金の調達が出来なくなってしまうのです。

この損失額は、400億円にも上りました。

自殺する夢を見るほど熊谷氏は追い込まれていました。

このときに自分の支えになったのも、手帳だったそうです。

手帳に20歳の頃と同じように毎日不安に思うことを書き、心を落ち着かせていました

全財産を会社につぎ込み危機を回避

この危機を乗り越えるために、熊谷氏は全財産を会社につぎ込みました。

もっていた現金や、不動産などのすべての財産を会社に出資しました。この時GMOには、様々なところから買収の提案が来ていたそうです。

それもなんと500億円。

会社を売却してゆっくりと暮らすという選択肢もあった中、数十億円の借金を背負い個人の財産を全て会社に注ぎ込んだのです。

これにより、債務超過を免れたGMOは再び成長して巨大企業になっていきました。

熊谷 正寿の資産

そんな大企業GMOインターネット創業者の熊谷氏の資産はどれくらいなのでしょうか。

公開されている情報をもとに推測しました。

GMOインターネット株の保有比率

熊谷氏のGMOインターネット株の保有比率は

個人名で、10.11%

事務所名で、31.54%

もっています。

合わせて、40%以上の保有率です。

現在(2020年8月12日)のGMOインターネットの時価総額は、3200億円程なのでGMOインターネット株だけの資産でも

1300億円程に上ります。

これ以外にも給料や配当による資産などを合わせると2000億円程はあるのではないかと思われます。

すごい金額ですね。

熊谷 正寿の年収

熊谷氏の年収は主に、GMOインターネットの配当と役員報酬であると思われます。

役員報酬が年に1億円程で、配当金が12億円程。

合わせて13億円程です。

おそらくですが、個人での副収入もあると思われるので15~20億円程ではないかと考えられます。

これだけ多いと全く実感が湧かないですね。

熊谷 正寿のTwitterや、ブログ

熊谷氏は、積極的に情報を発信しています。

Twitter

脱ハンコ宣言や、リモートワーク宣言など新型コロナに対応するべく様々な取り組みを行なっています。

そんな情報をいち早く発信しているのがツイッターです。

ブログ

引用:クマガイコム

熊谷氏は、クマガイコムというプロフィールサイトとブログを開設しています。

サイトには、熊谷氏の経歴や保有資格、ブログなどがあります。

クマガイコムはこちら

まとめ

今回は、GMOインターネットグループの熊谷 正寿氏についてご紹介しました。

大きな経営危機を乗り越えた・夢を見つけた手帳の活用方法などについては、熊谷氏の著書『一冊の手帳で夢は必ずかなう』に詳しく書かれています。

気になった方はぜひ見てくださいね!

関連する書籍は、今後追加予定です。