豊田喜一郎氏の経歴や生い立ち

トヨタグループのはじまりである、豊田紡績の創業者は喜一郎氏の父、佐吉氏ですが、世界を席巻する自動車事業を興したのは喜一郎氏となります。

トヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎氏の生い立ちや経歴についてご紹介します。

生い立ちから豊田紡績入社まで

喜一郎氏は1894年に静岡県に生まれます。

当時の豊田家は貧しい家庭であったものの、父佐吉は自身の発明にばかり時間を使っており、家庭を顧みない人物でした。

そのため、喜一郎氏の母たみは喜一郎氏が生後3か月の時に家出をしてしまいます。

佐吉氏が発明した木製人力織機は大きな成果を挙げ、豊田紡績を創業します。

喜一郎氏は父の意向に沿って経営者となるべく教育を受けていきます。

東京帝国大学の機械工学科を卒業し、その後に同大学の法学部でも勉学を続けます。

そして、父の会社である豊田紡績社へ入社をします。

トヨタ自動車を創業

ゆくゆくは父の後継となるべく豊田紡績へ入社をしましたが、喜一郎氏は経営ではなく技術開発に関心が強い人物でした。

そして、欧米に出張した際に、自動車産業が栄えている姿を見て衝撃を受けたそうです。

当時日本では自動車がそこまで多く走ってはおらず、海外からの輸入に頼っていました。

しかし、欧米では自動車がすでにたくさん走っており、それに伴って自動車工場や部品工場も所狭しと並んでいたようです。

今後は自動車の時代と確信し、社内での反対派を丁寧に説得し、ついに1933年豊田紡績の中で自動車部を設立します。

これがトヨタ自動車の原点となりました。

1936年には自動車製造事業法の許可企業にしてされ、1937年にトヨタ自動車工業株式会社として独立を果たします

当初は社長には喜一郎氏の義兄に当たる豊田利三郎氏が就任をします。

1941年に喜一郎氏が2代目社長として社長職に就くこととなります。

喜一郎氏は国産の大衆乗用車の生産を目標にしていましたが、当時の日本市場は海外からの輸入とGM、フォードの国内生産にシェアを取られている状態でした。

トヨタ自動車としてはエンジンの開発に成功はするものの、周囲からの反対もあり、当初はトラックの大量生産に力を注ぐこととなります。

1940年代は戦時下ということもあり、国からもトラックの増産指示があり、多くのトラックを納めます。

経営危機と社長退任

終戦後はいくつか乗用車を生産するものの、現在のように主力事業とはなってはいませんでした。

1950年のドッジ・ラインに伴うデフレの影響で、トヨタ自動車は経営危機に陥ります。

その責任を取る形で喜一郎氏は国内乗用車の生産という大目的を果たせないまま無念の退任となってしまいます。

喜一郎氏の退任から20日後に朝鮮戦争があり、その軍用特需により、経営は回復。

喜一郎氏の想いを汲んだ技術者を中心に国内自家用車の開発にも着手することとなります

1952年にトヨタ自動車の再建目途が立ったタイミングで、満を持して喜一郎氏の社長再任の復帰が決定します。

しかし、同年喜一郎氏は脳溢血のため急死してしまいました。

現在のように、トヨタ自動車が日本の自家用車を席巻する様子を見ることはできませんでしたが、喜一郎氏の思想や想いが反映されて、現在のトヨタ自動車は存在をしています

トヨタ自動車創業者として、大きく影響を与えている人物と言えるでしょう。

豊田喜一郎氏の逸話

ジャスト・イン・タイム

必要なとき、必要なだけの部品、材料がラインのそばになければならないという生産方式であり、「看板方式」とも呼ばれます。

これは当時画期的な生産方式であり、不要な在庫やそのための倉庫を撤廃でき、高い生産性を発揮することができました。

現在では多くの企業がこの方式を採用しています。

導入当時は社内からは「フォードはそんなことやらない」と反対の声があがるものの、喜一郎氏は「トヨタはやる。外国と同じやり方ではフォードに勝てない」と強い意思で導入したそうです。

愛知県西加茂郡での工場新設

トヨタ自動車は1937年に愛知県西加茂郡に広大な本社工場を新設します。

そのために58万坪もの敷地を買収しました。

これが現在の豊田市となっています。

一企業が市の名前となるのはトヨタ自動車くらいかもしれませんね。

豊田喜一郎氏の名言

困難だからやるのだ。

誰もやらないし、やれないから俺がやるのだ。

そんな俺は阿呆かも知れないが、その阿呆がいなければ、世の中には新しいものは生まれないのだ。

そこに人生の面白みがあり、また俺の人生の生き甲斐が、そこにあるのだ。

出来なくて倒れたら、自分の力が足りないのだから潔く腹を切るのだ。

技術は金で買えない。

個別の技術ですぐれたモノは海外から導入してもいいが、大きな技術の体系、産業としてのシステムは、自前で組み上げないと決して定着しない。

我々日本人の誰かが自動車工業を確立しなければ、日本 のあらゆる民族産業が育ちません。

それは別にトヨタでなくともいい。

けれども現状のままでは、カナダがフォードのノックダウン生産(部品を輸入し組立だけを国内で行 う)に占領されて自動車工業など芽もないように….日本も同じ道をたどります。

引いては日本の工業が全部アメリカの隷属下に入り、日本は永久にアメリカの経済的植民地になってしまいます。

まとめ

豊田喜一郎氏をご紹介してきました。

トヨタ自動車を「世界のトヨタ」へと押し上げる基礎を築いた偉大な経営者ですね。

喜一郎氏自身は目にすることができませんでしたが、日本が国産自家用車を使い、そのトップにトヨタ自動車が君臨しているのも、喜一郎氏のビジョンがあってこそのものでした。

非常に強いリーダーシップを持っていた人物だったのでしょうね。

豊田喜一郎に関する書籍

  • 豊田喜一郎: 自動車づくりにかけた情熱 (伝記を読もう)

    日本の近代化にとって自動車産業の発展が必要不可欠と信じ、自動車づくりに打ち込んだ人生。物作りを通じた親子の絆も語る。
    ¥1,650(税込)