井深大を知る編集部オススメの一冊

- 井深大 自由闊達にして愉快なる―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫)
- 革新的技術と製品化力で世界企業ソニーをつくりあげた井深大。彼の理想とした「自由にして闊達なる」経営こそ、今の日本に必要なことの全てを言い表している。その生涯を本音で語った「私の履歴書」、待望の文庫化。
- ¥825(税込)
井深大氏の経歴や生い立ち
井深氏は盛田昭夫氏と共にソニーを創業した実業家であり、技術者です。
盛田氏よりも10歳以上年上ということもあり、長年ソニーの社長を務めた後、盛田氏よりも先に退任をされています。
井深氏の経歴や生涯について、ご紹介します。
生い立ち
井深氏は1908年に栃木県で古河鉱業の技師の息子として生まれます。
3歳で父を亡くし、栃木から愛知、東京と転々として過ごします。
その時期に母から博物館へ連れて行ってもらい、それが科学への興味の目覚めだったといいます。
その後の幼少期から学生時代にかけても機械の分解や無線の組み立てなどに没頭していくこととなります。
アマチュア無線が解禁される前から違法に送受信して楽しんでいたという逸話もありますね。
早稲田大学理工学部へ進学した井深氏は電子機器に必要な弱電の分野を専攻し、学生でありながらいくつか特許も取得するなど、技術者として頭角をあらわしていきます。
社会人時代
早稲田大学を卒業した井深氏は、東京芝浦電機(現東芝)を受けるも不採用となり、当時のベンチャー企業であるPCL社(写真化学研究所 現東宝)へ入社をします。
PCL社では学生時代の研究内容を続けることができ、すでに発明をしていた「走るネオン」の研究を続けて、1937年のパリ万国博覧会で優秀発明賞を受賞します。
業務外の研究を続けさせてくれるPCL社の環境は井深氏にとって非常に良い者でした。
その後、当時の所長であった植村泰二氏を社長とする日本測定器社を創業します。
そこでは常務に就任することとなります。
盛田昭夫氏との出会いと東京通信工業社の創業
1945年の戦中に日本軍の科学技術研究会で、当時24歳の盛田昭夫氏と出会います。
当初から技術者同士でウマが合い、終戦直後には「これからどうするか?」について語り合ったといいます。
井深氏は1945年の終戦直後に東京通信研究所というソニーの前身会社を創業します。
翌年の1946年には盛田氏もジョインし、現在のソニーにあたる、東京通信工業株式会社を設立することとなります。
会社設立に当たって、その目的を「技術者がその技能を最大限に発揮することのできる“自由闊達にして愉快なる理想工場”を建設し、技術を通じて日本の文化に貢献すること」と、明記しており、当時から日本に技術で貢献するという強い想いを持っていたことが伺えます。
東京通信工業社は電気座布団や電圧計などを作っていったが、当時は部品も全然流通しておらず、闇市から調達をしているような状態でした。
まさに戦後のベンチャー企業で、当時から思い立ったらやってみる、という社風を作りあげていきます。
ヒット商品を連発し、「世界のソニー」へ
東京通信工業社では様々な製品を試行錯誤して作っていましたが、1950年に日本初のテープレコーダーを発明します。
当初は巨大且つ高額ということで売り上げは芳しくありませんでしたが、試行錯誤を続けることで、徐々に市場の受け入れられるようになります。
その後、1955年にはトランジスタラジオを発明し、海外へも進出していきます。
1958年には海外でも認知されやすいブランドにするために、社名も東京通信工業から「ソニー」へ変更し、同年東京証券取引所へ上場を果たします。
1968年に井深氏は自身の技術者人生の集大成ともいえるトリニトロン・カラーテレビを発売します。
同商品はトランジスタラジオ以上に無謀な挑戦とされており、社内でも難色が示されていました。
しかし、井深氏の「ソニーにしかできないことをやる」という強い意思から、当時としては画期的な美しい画面を出すことに成功します。
量産に際しても異例とも言えるスピードで体制を整え、大ヒットにつなげることになります。
その後、すでに高齢だった井深氏は盛田氏に社長の座をゆずり、徐々に最前線からは退いていきます。
しかし、空前の大ヒットとなるWalkmanの元となるアイデアを盛田氏に持って行ったりと、陰からソニーを支えることとなります。
井深大氏の逸話
井深氏と幼児教育
井深氏は幼児教育にも考えを持っている人物でした。
1969年には幼児開発教会を設立し、その理事にも就任しています。
同氏の持論として「心は頭になんかない」というものがあり、胎児から教育ははじまっており、心を育てる重要性を語っています。
現在は非認知能力が着目されてきていますが、当時は知識偏重の教育だったことを考えると技術と同様にかなり時代の先をいった考え方でした。
井深大氏の名言
アイデアが重要なのではない。
一つのアイデアをどうやって、具体的にしていくかが重要。
人生で一番の幸福は、仕事と趣味が一致すること。
その仕事に興味が持てなかったら、早く足を洗う。
そうでなければ、何とか仕事を自分の恋人にしよう、というぐらいの覚悟を決めるしかない。
ヒット商品は、時代に迎合しない新しい発想から生まれる。
育児くらい崇高で素晴らしい仕事はない。
まとめ
ソニーの創業者、井深氏をご紹介しました。
井深氏は盛田氏との共同創業者として、よく知られていますが、井深氏はソニーの技術を担っていますね。
戦後日本の経営者としてだけでなく、技術者としても名を残す人物と言えるでしょう。
井深大に関する書籍
幼稚園では遅すぎる―人生は三歳までにつくられる!
人材育成の根っこは幼児期にあった! 脳細胞の配線は3歳までに決まる、抱き癖はおおいにつけるべきである等、30年間にわたって120万人以上の人々に読み継がれてきたソニー創設者の代表的著作。昭和46年初版の新装版。¥1,858(税込)