松永久秀の年表

1508年 出生する。出身は摂津国、阿波国、山城国など説が分かれる
1533年 室町幕府管領となる細川晴元の配下であった三好長慶に仕え始める
1551年 相国寺の戦い 三好長慶と対立していた幕府方の細川晴元の兵を敗走させる
1560〜1564年 大和を支配する拠点として多聞山城を築城する
1565年 永禄の変 嫡男の松永久通と三好三人衆が室町将軍足利義輝を暗殺する
1567年 東大寺大仏殿の戦い 三好三人衆、筒井順慶軍と東大寺周辺で戦い勝利、東大寺大仏殿が消失する
1577年 信貴山城の闘い 織田信忠の軍に攻め落とされ、自害する

松永久秀は織田信長を2度も裏切った!?

Wikipediaより引用

松永久秀はあの織田信長に対し、2度の謀反(裏切り)を働いています。

2度の謀反にも関わらず、2度も信長から許しを得たことでも有名です。(2度目は許しを得たのに久秀が拒否、自死する)

それほど信長が久秀の残忍さに自分と通じるものを感じていたからでしょう。

信長が徳川家康に久秀を以下のように紹介したことでもその関係性が出ていると言えます。

この老人は普通の人間ならまずできぬ信じ難い悪事を三つもしてのけたのだ

この三つの悪事とは、主君の三好家に反旗を翻したこと将軍・足利義輝を殺害したこと東大寺大仏殿を焼き払ったことです。

信長もまた、主君を裏切り将軍義昭を追放し比叡山を焼き討ちにしています。

また、久秀と信長は茶道具の収集家と趣味も通じ合っており、久秀も数々の名物茶道具を信長に献上し、大いに喜ばせていました。

松永久秀は日本で初めて爆死した人?

爆死前に古天明平蜘蛛を叩き割っている久秀 Wikipediaより引用

1度目の謀反から5年後、打倒信長を掲げ、上杉謙信率いる軍が京都へ向けて進軍すると、久秀はあっさり裏切り、信長を討ち取ることを計画します。

しかしこれが失敗し、信貴山城に籠城することになります。

その際も信長は久秀の謀反を許し、思い直すように使者を出し説得しようとしますが、拒否。

茶器の名器として名高かった「古天明平蜘蛛」(こてんみょうひらぐも)を信長に差し出すことで命だけは助けようとしますが、これも拒否。

挙げ句の果てに、「この平蜘蛛の釜と俺の首の2つはやわか信長に見させるものかわ」という辞世の句を読み、古天明平蜘蛛を叩き割り、周囲に火薬を撒き、切腹した後火をつけ自爆死したと言われています。

松永久秀と明智光秀

明智光秀

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」では、若かりし明智光秀と松永久秀が親しくしていますが、実際に親交があったことは確認できていません。

ただ、両者には共通点も多く、生まれや育った場所が謎、信長に謀反を起こしたといった点です。

ともに織田信長の家臣であったので知らない間柄ではないので、歴史上には残らない程度の絡みはあったかもしれません。

松永久秀と茶器

九十九髪茄子(現在静嘉堂文庫所蔵)

久秀は武野紹鴎(たけの じょうおうを師事するなど、茶人としての交流も広かったそうです。

信長が喉から手が出るほど欲していた古天明平蜘蛛(こてんみょうひらぐも)や九十九髪茄つくもかみなす)を所持していたりと名物茶器を多数所持しており、茶人としての位置付けは高いものでした。

松永久秀の子孫

松永久秀の子孫の有名人が2人います。

詳しく見ていきましょう!

松永真理(まつなが まり)

首相官邸ホームページより引用

松永真理(1954年11月13日 〜)

セイコーエプソン株式会社 社外取締役

NTTドコモのiモードの企画開発に関わり、iモードの名付け親となりました。

2000年10月号の米フォーチューン誌で「ビジネス界最強の女性ランキング」のアジア部門1位にランクインしました。

太田光代(おおた みつよ)

サンスポより引用

太田光代(1964年7月6日~)(旧姓 松永)

芸能事務所「株式会社タイタン」 代表取締役社長

爆笑問題太田光の妻。

爆笑問題を始め、長井秀和や日本エレキテル連合をが所属する芸能事務所タイタンの社長。

まとめ

いかがだったでしょうか?

NHK大河ドラマでも存在感を表す松永久秀の今後の動向に目が離せません!

関連する書籍は、今後追加予定です。